ある時からこの奥さんの方の人に似てる人の心当たりがあるなあと思いつつ時期で違うのになあと思っていたら、逆だったり、そもそもこの男の人は加藤紘一の跡取りの三女と結婚して離婚したのに出馬したつわものであった。
しかしいつからこういう人が出てくるようになったんでしょうか。
そのまんまなので、だめだからという人と、それでもまだしつこくここへまたはいろうという人といるようですが。
つまり利用価値がある場合だからって、(ほんとはだめなんですよもう)何故ここまで優位に話を作り変えてるんですかね。ジャンキーのところからの方がよかったんですけれども。どこかまだ不全であって、そういう場合だからこそ病的なふうに残るんでしょうけど。