が殊の外面白く、大抵最近は夜寝る前に本を読むことが多かったんだけど、物語の舞台の大半は強い日差しの土地であったので、ある日強い太陽光のあたる昼間の電車内で読んだら全く違うひらめきと読書感があってその余韻を残しつつ読んでいた。読み終わるのが勿体ないと思ったが、しばらく経ってよく考えると、
売りつけるとんでもない話だ。
たぶんプリンストンの私財を狙うような未遂は数回あるだろうが実際には物語のように
売れたことはないのではないだろうか。
盗むにしても盗むという形じゃないし、
そもそも盗むものが違うのでは?
時間のスケールが違うんだろうし。
絶対的な自信と信頼、それを支えるブレーンがいないと無理だしライフワークだろうから。
風刺がわからないとかそもそも知性のレベルが一定以下は門前払いなんだろう。
なのでこの小説は発売日の0時を待ってすぐに電子書籍、その日のうちにたまたま村上の新作が出ると開店前から人が列をなすとニュースでよくやってる大型書店の直ぐ側に用事があったので勇んで買いに行った割にその後忙しくなかなか読めなかったし、
読み始めたら久々にこれは双極性か乖離っぽい感じのだしハードボイルドワンダーランドのだなと思ったので、こんなわけわかんないスタイルの話、速読するものではないなと思った。それは言ったほうがいいのかなと思ったけど、言わなかった。
なかなか読み終わらないので、読書の集中力がなくなったんじゃないかとか言われたりしたけど、別に変わらないと思う。季節的にというかこの春の空気汚染は酷く目が痒かったというのはあったけれど。
まあ何か汚れてるからそうなったんだろうけど。
半月以上かけてかなり遅く読んでいたが、よく考えたらこれは世界の終わりとハードボイルドワンダーランドを読み直してまた読んで、他の図書館ものも読んで、また同時進行で読むといいやつなんだなと思った。だからゆっくり読んでいる場合ではなかったんだった。
たぶん世代交代や継承のようで、そうではないし、読む人の年齢によって感想は表層的レベルでも違うだろう。なんというか村上の小説の世界観で男性の主人公の場合における人格の何らかの不足を感じた。書き方の問題ではない。(そういえば私は未だに海辺のカフカを読み切っていないのだけど。)
カズオ・イシグロのクララの流れもあってAIのような部分も感じられるが、孤独と機械と人権について書かれていること、孤独についてこれだけ書いた小説はないのでそれはその点で成熟味のあるものだなと思った。
ハードボイルドワンダーランドは雪の場面が印象的で雪が積もって太った女性とかいうのが確か出てきたがあれは雪ではないし重力でもない。
おかしなその解釈を定着させたのがいて、そのあたりの描写だけは今回は薄い。物理学的にはかなりの次元の後退になっている。これにより空気汚染とその症状が出やすくなったのかもしれない。(世相もある。空気清浄の需要とかで。)
時間のはあるけど面倒だからここで書かない。
イエローサブマリンの少年のだけど、*1レインマンのダスティン・ホフマンを思い出した。先日何の番組だったか、あの映画の音楽担当者を決めた時に従来のロードムービーらしさがなく、ものすごく反対されたけど結果良かったとプロデューサーかなが答えていた。監督かな?まだこどもだったのでコヨーテが出てきそうな音楽で怖いし見ていいのかなと感じたことを思い出した。
村上春樹の場合、コンテンツのメジャーどころにあたるのでたまたま他メディアで目にしたり耳にするそれが符号するおもしろさも今回は読書時間を長くした理由でもある。そういうのに関して何というかおたくっぽさが出てきてしまうので私は。