これに行ってきた。8月7日まで。
夕方だったけど、特にカフェは混んでいた。
平日だからか、わりと年配の女性が多かった。
確かに村上春樹の書いてきたものが時期ごとにどういうものだったかはわたしはわかりやすかった。
こういう本も出ていた。
所蔵するちひろのさくひんも同時に企画性をもって別の部屋に出ていた。
特に展示室の入り口が分けられていなくて両方同時に見られる。
ここのところ日本共産党関係はメディア酔いしてご都合主義で出てくるので、そういう感じのところがあった。
たぶん、メディア化されたところと個の部分の協調の仕方が本もそうだけど、ややおかしいのかもしれないと思った。和田誠さんのはジャズのものを中心に出ていて、アメリカっぽい。それが何かアメリカでジャズだからその土地のから出てきたマイナーな人みたいになってるっぽいけど、和田さんのが一番広告っぽいので。そうすると対比で実は際立ったのが、本当に市井の人だと才能があってもなかなか着目はされないということの部分で。セルフポートレイトみたいにしないで、世界唯一の個有物体の発表とか、生命が表れているからいいけど、どこかいたたまれない。内容は悪くないんだけれども。
羊男は何かたぶん平和のモチーフとして強調され羊男のクリスマスの絵が佐々木マキさんのはだいぶ出ていた。そのグッズは珍しいのでだいぶ出ていたのはよかった。ユングとか良心とかそういうのではない。
そういうとらえ方のせいか、須磨だと思うけどが、だいぶ「須磨だ!」みたいになっている。
こういったことが余計ものごとをこじらせ悪い方向に間接的に導くことになる。
長い間、党派性などで、どっちかに傾いた人物かでやりすぎたんじゃないの?絵本界隈だけじゃなくて、公共図書館や暮らしの手帖界隈にもそういうところがある。同人系の人のそういうのもだから一時、世の中が狂ってる時しか出てこられないので、それが不平等だと言って荒らすの平和でなくなるし守るものが何も守れなくなるのでもういい加減にしてほしい、と思った。
水丸さんので出てたのは考えないとと思った。ふざけた感じの人だと思われてるんだろう。別に彼個人のものでもないのに。