首相の靖国神社参拝にからんで「国の最高の立場にある人の言動と個人の信条とは、あくまで分けて考えなければならない」と言った :日本経済新聞
しれっとこんなこと書いてるけど、7がおかしくないとこんなことになってないわけで。
リバースエッジの件でさらに思い出したことがある。
奇しくも今靖国神社のことが話題になっている。夏にみたま祭というのがあって、そこでは見せ物小屋が置かれるというのだけれども、高校生ぐらいの時だったと思うけど、しきりに誘われたことがある。それでも行かなかった。今まで一度も行ったことがない。
先程こちらの記事を見てみた。
【アート】 靖国神社の 「見世物小屋」(靖国神社みたままつり,7月13日~16日): 井上リサの臨床美学研究室
「見世物小屋」のインパクトのある看板に魅せられたお客たちは入場料600円(子供400円)を払って,次々と怪しいテントの中に入っていく。ここの舞台に伝説の見世物小屋芸人・マメ山田が立つと聞いて駆けつけたお客も多いはずである。私もその一人である。
中に入るとそこは昭和というよりは,むしろ江戸川乱歩や,あるいは実相寺昭雄が『シルバー假面』で描いたような大正デモクラシーの世界である。明治に独逸から流入してきた自然科学を始めとする様々な学問が,まだまだ大衆には懐疑的に映っていた時代である。その象徴がヴィルヘルム・レントゲンのX線などだ。この時代に初等教育で近代の自然科学や物理学に則した「理科」を学ぶ機会の無かった人たちの中には,X線で身体を撮影された人間は,寿命が縮むとか魂が抜き取られるといったまことしやかな噂を信じていた人々もいたわけである。だからこそ当時の「見世物小屋」には,そんな大衆心理を逆手に取った,今でいう疑似科学,偽装科学のような出し物が活き活きといきづいていたのである。
靖国の「見世物小屋」も,そんな時代のアナログな仕掛けが人気の秘密である。「闇」が無くなった現代の帝都で,人々が密かに求めている「闇」の世界がここにあるのである。
なるほど、そういうことか、と思った。こういった風潮が、一世代前までは身体性に関する欠陥が新宿の文化にパンクまで残っていたのか。わたしぐらいの年になると、ほとんどわからない。夜の新宿は親がママ友とゲイバーに行って憂さ晴らしするぐらいのイメージの方が強くなっていたので。あのマンガの登場人物のどの子かはわからないが、医者の息子がいて、彼はボンクラだったけれども、自然科学や物理学への無理解に関して何かわかってほしいことがあったのかもしれない。わたしは屈託ない性格が疲れないっていうだけでそこまでどうこうおもっていなかったのだけれども、Keynesian beauty contest メソッドに命を賭けていた友人は、そういうことこそ自分が挽回する機会だとわかっていたようだ。後からみたま祭にこないのが悪いなどと偉そうに言っていてそんなのどうでもいいのにと思っていたが、その数年前以内におきていた砧の中学での9の字に机を並べる事件など、漫画の作者もそうである一世代上の何らかの鬱憤(彼らはすごいだろ。未だにあまちゃん使って誇示してるんだよ。)や癇に障ったのだろう。とにかく友人からしたら、そういう目的以外にないので、何だかわからないけれども侮蔑をそこまで表さないぐらいの態度で笑い飛ばしてしまえということになったのだと思う。
死体に関することだけれども、その世代間ギャップと戦争犠牲者のことについて片づかなかった件と商業的価値観の具合のいい形成に関しても投げたことなのだろう。片づけてないのだから、わたしが何か悪いみたいに言うのはそもそも企画の破たんでしかない。
上の世代の場合は美醜差別が大きいみたいだ。岡崎がどのぐらい業界に実は憧れていたかわからないが、わたしはこの裏に「月9」のゲン担ぎが強く存在しているようにも思えて、まとめていずれの人たちも迷惑な存在だということに変わりはない。