石原慎太郎の時も、だいぶはてなに批判が上がっていたけど、外部の人が多かった。今はそういう人は自慢の自社メディアが好きなので寄り付かなくなったようでよかったけれども。
エディプスコンプレックスの対象になぜ都知事がなるのか、なりやすいのか、都出身のわたしにはどこかわからないのかもしれない。
甘えの構造が市民性とかいつからそうなったのかとたまに思うのもそうなのだろう。
どこかに何故かいつも余計な見栄(先住民よりのし上がりたいとかいうものなど)介入しているからだ。こういう形成過程のバランスのわるさを考えられない意見が多いのでポピュリズム政治は悪いのだろう。
さてそれにしても、今回の舛添知事への批判はどこか、ガス抜きのようでおかしい。その動きの声の大きさから言って、それに見合う先見性が圧倒的に足りないからだ。
何のロビーをするにしても、ソーシャルメディアの進展に不適合である動きをしている。それが見受けられる。こういったところから急にいいサービスは間違いなく出てこない。何故こういった考えに固執して、権力掌握のためにやる必要があるのかわからない。
これが旧メディア然としていて考え方が致命的に古い。こんなふうなサービス生成で広まれば社会的に勿論粗悪な道具で心がやや朽ちるみたいになるだけ。
大体くまもとで地震が*1起きてから、何か自民党と土木業者の癒着みたいに考え方がおかしい。55年体制みたいなことをやってるんじゃないかというところがある。そもそもこの動きもヒルズ族と森派子息を中心には以前からあったようで、これが北方領土問題のネックになっていることも間違いがない。ロシアの要求が過剰であり、被害妄想が激しい。オリンピック委員よりその掃除を先にしてほしい。大体フィギュア連は北方領土問題を犠牲にしてまで安藤美姫を担いだ事実がある。
このように前提の部分で叩く前から埃がすごい一帯だと思うので、
次期都知事候補をどうするかみたいな動きを参院選前にしてもやりすぎなところがある。
こんな記事が出ていた。
誰かを暗に腐したいとしても、規格外の出し方が政治家にまつわるものだと出しやすいにしても、テレビ局の人の批判に対する異常なほどの不満(テレビ局自身もたぶんやることが未だにわかっていない)、振り分け方が、とてつもなく出来の悪いAIみたいな感じで、そういう風潮はやはり弱いところに出やすい。中学生の自殺が多いというが、それが起きている時点で、今あるネットサービスのほとんどはどこかでケツが軽すぎる女以外から拒否を出されているのと同じなのだというのも全く読めていない。つまり、コンシュマージェネレーションサービスとして機能していない部分がある。ここでよみちがえてもいけないところはあるんだけれども、最初の方に書いたことがだめなのでそれも出やすいこと。
*1:ある前からどこか九州の人はおかしいんじゃないの?新幹線ひかれたころからか、沖縄がガタガタしはじめたころからだか。