これ仲畑さんのコピーがなかったらまた大変ぽくなるのだ。
眞木さんの伊勢丹の1991年のは「何人まで愛せるか」というのだった。
さっきこの1991年のコピーを見つけて忘れてたんだけど、ちょこちょこパルコに最近いってるので可笑しかった。
パルコで
お釣りとか
もらおうと思う。 | コピラ | 東京コピーライターズクラブ http://t.co/UpvUfKMyvt
— あー (@9atashi) 2015, 9月 22
これも同じ年かな?
小学校三年だったかな、その前の年ぐらいから、たぶんプロンスターっていうのだと思うけど、朝5時ぐらいにやってるのを早起きして見ていた。そうするとたまに母がこっそり帰ってきて、二丁目とかホストクラブに行ってたみたいだった。昼間は何かタッパーウェアとかをみんなで買ったりそのついでにお食事会とかをしていてそういう昼間のには行ったことある。後でそれをともだちとままごとみたいにまねしていた。夜もお食事会とかだけなら行ったことがある。外苑東通りで喧嘩してる人がいたのも覚えてる。そうだ後で報告しなければ。それぞれの会社のおじいさんぽい人に聞くと知ってるかもしれないけど。夜もそういう会のおばさんとかと一緒にいってるみたいだった。
こんなにお話っぽくなってない真っ白な背景のをよく見てたと思うんだけど、それはまた違うのなのかよくわからない。
1991年頃の動きってなんか三浦武彦さんがやってたのに対抗するにしても、グループが違うしその魔女みたいなおばさんたちのヅラがあるし、詳細をわかってないので、
佐藤雅彦に揶揄されていた。
この間の動きのカガク展(27日までですよ。今このこと書いててもう一回行きたくなったけど行かれるかなあ)これもだからそういうのだろうなと思った。
このことだけじゃなくても、ねじまき鳥読まないとなあ。
ネーバーはこの辺のわけわからずあらしすぎなところもある。