もっと日常的なところのがいるんじゃないかな。喧嘩が下手な子供はあたしより少し上から多い。 / “(天声人語)平和への思いが絵本に:朝日新聞デジタル” http://t.co/XdkThjWNuy
— あー (@9atashi) 2015, 9月 15
そうだ、何でドラフトの人の関連でキギさんのキコフのとかがあるにしても、
それ以外にこんなに広島県のが来るのかなって思ってたんだけど、何かお茶のお稽古の京都に行った時ので広島県の子がいたのかも。大阪で入れたのかな?保母さんの子。割と性格が強い子だった記憶がある。雪に顔の輪郭が似ていたし。
広島の平和と戦争に対する教育は手厚いって言ってたけど、人は何か気性が荒い印象があるけど。
この人は広島弁っぽいけど、実際どこの人なのかとか存じ上げないけど
「罵倒で世の中を動かすことはできない」というのは全く正しくて、より正確には「自分達と違う考えの人を動かそうと思ったら罵倒/嘲笑は避けるべき」なのだが、困ったことに「敵を作って罵倒/嘲笑することは身内の結束を固める」つう話があってだな
— ultraviolet (@raurublock) 2015, 9月 15
敵を罵倒/嘲笑して身内の結束感をアップすると、何となく「俺達は目標に向かって前進してる!」めいた高揚感が味わえてしまう。そこから「なぜあいつらは理解しないのだ?あいつらが馬鹿か、さもなくば悪意を持っている!」と発想しやすくなるのだ
— ultraviolet (@raurublock) 2015, 9月 15
この心理は日本人に限らず全人類に共通の性質。ただ日本では、「当初はちゃんとした目的のためにできた集団が、いつの間にか集団の存続自体を自己目的化してしまう」ことが多く、それがこの「罵倒/嘲笑で身内の結束を固める」話と実によくマッチしてしまうのだ
— ultraviolet (@raurublock) 2015, 9月 15
それはのう、日本社会では難病人であっても「席を譲って欲しいという意志を表明すること」を心理的に抑圧する社会構造があるのだ。ただし「(意志ではなく)自分が難病を煩っているという状態を表明すること」ならその抑圧が遥かに低い。これは日本文化の特筆すべき特徴だと認識してる
— ultraviolet (@raurublock) 2015, 9月 15
昔からある集団が誤りを犯すという問題をかんがえていないからで、それはデモ活動している人への差別というより歴史的な事実で信用がないからで、
これもちょっと / 他3コメント http://t.co/udEzrRfQ0n “NHK日曜討論公式ツイッターが謝罪 安保巡り批判集中:朝日新聞デジタル” http://t.co/7pqoXCk59J
— あー (@9atashi) 2015, 9月 14
さっきのNHKのと一緒でこういう違和感は出る時代 https://t.co/gcvEDoUnJ5
— あー (@9atashi) 2015, 9月 14
昔の全共闘とか日弁連は卑怯だと思うんだよ。信頼の担保おめえらのせいでねえのに庇護すんじゃねえよ。6見るのすごいストレス。
— あー (@9atashi) 2015, 9月 15
デモのやり方として、主張する側は全面的に正しいという態度をしないといけないのか、その前にでも一部の人にしても大部分の参加者の過去の過激な行動についてどう思ってるのかなんで言わないのかなあ。まともに育てられないんだったらやっぱりへんなんじゃないの?
ネットの人もああいう人たちの逃げ切り同様にほんと反省できないのって、昨日書いたようなことをする権利はないと思うよ。
朝日新聞のグローブででもやればいいのに。だってこのぐらい威丈高なのってとりあげる程度の人たちなんじゃないの?