この日曜日の書評コーナー読んでたんだけど
戦争を体験してないけれども、どんなに悲惨かを学ぶために数冊の本があげられている。それが何故か数年前には「夜と霧」は、他者を攻撃する材料として出ていた。どのぐらい悲惨であるか他人で追体験できたのだろうか?
あたしだけどほぼかぶったのは。機能不全に陥らせるのはもうやめたほうがいい。今のこのように遅れと予見もまともなものが出なくて右往左往するだけだ。
いつもこういう時期に島田雅彦氏はこういったことを言ってるような記憶があるんだけれども、それでもこの書評は昔よりだいぶいいけど。
(書評)『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』 ルイス・ダートネル〈著〉:朝日新聞デジタル
ペシミスティック
2015/08/09 21:52
今どうも足りないのは、ウェブについて言えば、
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)から
始まる梅田さんの数冊の著作が出なくなったことで、ベルクソンの本を読んでいる。
だって「破壊的退化」みたいなことばっかりない?バカにもほどがあるよ。許せないね。
たぶん物質と記憶から読んだ方がよかったのかもしれないけど前読んだのはそんなに覚えていなくて結構抽象的なので読むのには苦労するけれども、序章を読んだだけでもわかるんだけど(うるさいので戻らなくてはいけなくて妨害で本当に迷惑)、ウェブ(特にSNSの場合)を何らかの生命体のようにとらえる考え方があるのかもしれなくて、新陳代謝という概念の捉え方がまるでおかしいのだろうと思った。それにしても、システムを刷新するためにシステムを破壊してよいとか本気でやってたバカすべてにおいて終わってると思った。未だにその責任を取っていない。
運営方法を改善するというのが正解なのに、たぶん実はまともに運営をできていたことがない、またはその動きの認識、背景の思想理解がおかしかったということなんだろ。なのに破壊するとか一体どこまで奢っていたバカの絵空事が暴走していたのだろうと思う。
それがウェブだけにとどまらないところにまで及んでいる。
この本を読んでいると、ああここの解釈が違う、ここも違うというのがボロボロと見つかる。
某K大学の創発の考え方がどうも足りなくて、それを全力で証明している一群がいて、だけどやってる本人たちがそのことに気づいていないんじゃないかと思うことがたびたびある。それを土井利忠氏が推奨しているフロー理論に乗っけてしまうとどこかで水害が起きるとか何かその前にどうしようもなくだめなんだよね。
騒音が時々私や何人かの人のところでとてつもなくすごいことになっているんだけれども、どこかで存在したであろうプロトタイプを、ロールモデルとして使うのに限界があると思っているのか、誰かに使ってもらって起こすとかいうつもりなのかにしても、整合性が悪いとか、病気をわざと出す(全体的に勝手に競争で早くしていることで実は無理があるとか、勝手な解釈でタイミングがあっていない人が多すぎてすごく出やすいのもある)とかで解決にならない。
ちょっと考えればわかることなんだと思うんだけど、どうしてもネットの人は特に欠けている身体性や現実味のことで。
「いかなる生物にもそのまま自動的に適用されるような、生物学上の普遍的な法則など存在しないのである。」
読んでて、ああこんなことが抜けているのだと思った。何でこんなこと書かないといけないんだろう。
勿論数学的に考える場合デカルトの連続的創造のようになるとしてもそれは現実的にはやや不可能であるんだよね。特にわたしはやることが多すぎるんだけど。
それにしてもこんな無目的にただ荒廃させるだけが目的の状態だと、脆弱性しらべるのにもきりがまるでないし、当然出来ているはずのデジタル化されていいような新しいシステムがまだできていないとか普及しにくいとかで、責任はすごく重たいと思うよ。