BREAD&CIRCUS

知識産業に偽善は必要なのか?

今更こんな話をしないといけないって、わかってない人が手掛けてるんだろうな。

 

東大の文学部と教養学部っていうか、その宣伝部員としてフロントにむかしからいる人、はてなに昔いたけど、だからかはてなの人偽善っぽいって言わないといけなかった。吾輩は猫である読んでると東大とかエリートの人の考える市民性の見方が結果としてああこれ偽善だなというのが見て取れる時がある。ルサンチマンの後押しが主目的になりやすい。

漱石は英国に留学しているためこの部分でその時代でも揺れやすい。そしてその偽善的な部分で官僚が批判される部分でもあるけど、それも実際そうかというとそうでもなく落としどころとして存在する方が大きい気がする。

それでもネットではその偽善のが多い。左がこれが多く、86の大衆性は、批判するところが見当違いになることが多い。偽善的になるというのはどこか特定の人物に対してはいい人でありたいというその設定がおかしい。

村上春樹

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

というエルサレムで行ったスピーチの中の言葉があるが、彼は偽善者だろうか?

 

共感が得られれば、悪い行為が黙認される、ビートたけしが「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言ったのは壁を大衆がどこかで作っていたその時代のことだ。なので活動や盗みが黙認される。高度成長期のルサンチマンは利便性追求に一役買うとしてもルサンチマンルサンチマンであり、技術と科学に対する侮蔑を大いに含む。むろん誤解が存在しているのだろう。バーカ。レビューの傾向として白物家電などこういうのばかりなんだろうし、それでも戦前生まれの人はただそういうルサンチマンでとらえてもなかったはずなのになあ。消費者動向としては見るが、系統が違う。わたしの考えでは時代に見合わないというのが結論だ。