ELLE JAPONのバルテュスの良かったよ
この号に出てたんですけど、
翻弄される少女の問題を最初にきっちり書いていることや、止まっていて静止画だからこそ美しいみたいなことを他人の批判でもなく書いていて珍しい種類の文だなあと思いました。実際すごく少ないんですよね。褒める前に客観的に理解しようとするものが実は少ない。身になって考えるというのでもなく、だから必要性がないのに、自分の拠り所との比較が下世話に入るとか。
それでさっきの雑文集の安西さんの本について書かれたものなんですけども、安西さんについて書かれた文章は村上春樹の友人らしくすごく多いんですけど、まあなんというかわたしのようでわたしじゃないですけど、そうなったみたいですね。村上はその後のこともわかってて書いてるので決めつけというのでもない。
で漫画の人物ですけど、考えの飛躍みたいのの仕方が違うのと、8だと鬱陶しがられる、生きているうちに身に付く教訓と気づきがちゃんと私の場合あるんですけど、私以外にもう一人か二人含んで書いてるので。自暴自棄になってなければそういうのがあります。若いのでその邪気目になってても朝起きるとぼんやりしてるとかありますよね。そういうある種心身症の手前状態のところへ来て上塗りするとか、だから8てその自暴自棄をほんとにすすめてきたりもしてきてたんですよ。そのぐらいお偉いんでしょうね。最低。今子供もってるからどうにかしろとか撥ねつけないとほんとに言ってきそうで考えられません。
元の何かお酒の席からの行き過ぎた失敗みたいな話は、学生の時休日の朝、犬の散歩してる時に見かけましたよ。なんだかわからないけど、朝帰りの女性を見送る部屋着姿の男性ですまして歩いてる時は仲いいのかなと思ってたんだけど、そのうち感情的に女性が怒り、泣き出したりしてて。変な場面を見た時に人にいいますよね、「この間朝から変なカップル見ちゃったー」とか女学生だと友人に。こういうのを又聞きしたのか、何でこの話をわたしだということにして処理したんですかね。
女性の立場に立ってみると、どういうことかと親身になって考えよいう場合にしても、こんなのあしかけされるのって失礼ですよね。よく新聞とか週刊誌でもほっとくとそういうのありますけど。(あの女性議員は同士的な感覚でもなく、目立ちたいがために足かけしてこようとしてましたからね。)
その頃確かに混線してましたから、っていうかそもそも扱いきれない人数かかえんじゃねえよとか、見る方の係りのほうがクソでずぶずぶの業界人だと判断がキモイとかよくあったんでしょうね。
こういう混乱状態において関係ないわたしに抽象的にあてはめられたものを、読めない人がたまに具体化して噂としてあったことかのようにするとか、最悪な場合は具現化して発生わざわざさせるっていうのそれが元が事件や事故だったりするのになんなんですかね。これってだけどほんと、性被害とかの場合セクハラどころのはなしじゃないんですよね
だけど何か変な話、自在に形を変え流れてるんですよね。
これ発端はわたしが生まれる前の映画で抽象化した話ですよ。
この件は最近のは朝日と「スペイン」、金融庁です。
「スペイン」は極悪度高い。
変なフランス人形が台頭してくると起こりやすい。
ということで1Q84の帰結が赤坂プリンスっていうのはもうなくなったのでいいですどフランスアメリカの組み合わせってよくないと思うんですよねほんと。
元の本は1993年ってだけどこんなの変にまたしたら来年地震起こりますよ。安西さんなくなりましたけど。