堀潤のソーシャルメディア日記:人つなぐ発信の自由 /東京 - 毎日新聞
audience
誰がこういうソーシャルの解釈始めたの?どこ読んだり聞いたりするとこうなるの?
素性自分で確かめることなく複数の他人の間に自分が介在して、何ができるの?相手方が反対する存在のならどこの誰だかわかんないけど反対なのは一致してるからってそれでいいの?
物事見えてなさすぎじゃないの?言ってることややりたいことに対して?
フラットってみんなの意見を平等に集約するじゃなくて誰もそうしないで頭数であつめてどうのとか、受け止める方だけ他人とかそもそもわかんないだろみたいなでもわかんないおまえらがわるいみたいなのって、ほかのシステムがあればいけど、ないならないなりのことすればいいのに。