atashi9's weblog

10だってあるよ 

被害者の不幸

NHKオンデマンド | NHKスペシャル 聞いてほしい 心の叫びを~バス放火事件 被害者の34年~

なんでこんなんでわらってあるんだよ

びっくりするんだよね。この事件とか丸山ワクチンの研究とかは、小さい時だけど画像だか映像が繰り返し流されていたので、よく覚えている。何で東大かって流れてきていたのがそうだったし今気づいたがたぶん古くは結核の関係がある。友人に96、7年ごろ出ていたし。そこを語呂で読んでた人がいる。それでも止まっていないし。新宿は利用してたバス乗り場と違う場所だけど怖いイメージがずっとあって、それでも周期が回ってくるとその付近に行くようにある時期まではされていた。

今年の1月、2月も、受験生がんばってみたいなのがしつこすぎるぐらいテレビやニュースで出ていたが、たぶんわたしもQ用の勉強とかの関係もあって塾に行ってたのでそういう早期教育と学歴の問題などで図らずも教育を受けられなかった人にしわ寄せが行ったのかもしれない。商業的な需要でQが回り過ぎていると、その役目を果たさないとか不足する場合がある。わたしの場合は一部の大人に口調が子供らしくなくて可愛くないと思われたぐらいのものでひらばのQで追いつかないぐらいにちゃんと逐一言ってある。重要な記憶は何故か残っている。しかしながら通じていない。特におもちゃをねだるとかどこかに遊びに行きたいとか必要以上にいう子どもでもなかったんだけれども。今は混線しているし、倫理観もないし(強めに流さなくても整理する気がないのなら倫理観などがないのと一緒だ)、混乱は起こる。高度成長期に考えの変わっていき方と違う目線からの考え方というのの流し方というのはいつも考えてる。そういうのでも部分でこれはメディアのながし方の問題で、いつも注意してるし、ちゃんとそういうノウハウがあるところには古参新聞社、テレビ局、ネットの会社だってすくないがあるところにはちゃんとある。

さて本題の番組の方だけれども、全身にやけどを負いその事件で報道カメラマンの義理の弟に写真を撮られ世間の脚光を浴びてしまった被害女性の手記やその後遺症で肝臓がんを発症してしまっている様子、同じ被害者と会って話をする様子などがドキュメンタリーとして作られていた。予防や予測しきれなかった災いでも不幸があるとどこかで人は仏教的な考えの業のようにどこかでその人に落ち度があるかのように言う場合がある。これはある場合には失礼である。地震はじゃあ東北の人が何か悪い事でもしたのか?誰もそう思わないだろう。8はディタッチメントでものごとを考えることをしないくせに高みの見物で大してマネージメント力もありゃしないのにその人の価値や能力を下げすぎ気味に判断しすぎだ。こんな様子をこどもが見ていて学校で同じことをすればいじめのようなことはいくらでもその子供が起こすだろう。病気に関していえば日常的な風邪や腹痛などでもそうだ。

確かに業のようなものに対して起こるものもある。この考え方についても宗教別のかんがえかたでそれがどのように起こるかという点については考えがまだ足りていないが、おかしく動かしても災いを受けない研究とか他人になすりつけるとかを過剰にやってる人たちがいて、それはそれで許しがたくおかしいと思う。