茶の湯展の続き

一つ一つの出品物がそれぞれわりとすごいので限がないんだけど、目につくものや心に残るもの、気にかかるものってそれぞれ違うけど、喜左衛門井戸っていうお茶碗は初めて見たけど、なんていうか、びびった。

 

所謂骨董やアンティークって昨日書いたみたいに何かのいわくつきの話があるとか怨念がついてて所持がためらわれる(昨日の道具にそういった影はわたしは全く感じられなかった)っていうの、昔ほどの消費社会じゃないからそういう思いがけも少ないし、子供じゃないから畏怖する対象がせばまったし、そう、ないんだけど、これはやばいと思った。

 

美しいけど妖しい。やっぱり中をのぞくとなんていうか、汚い。

でもその外側を見ただけで何か寒くなるようなやばい感じがした。

 

自分でよくわかったなと思ったらさっき別の調べものでふとこの本を見たら載っていた。 

小林秀雄 美と出会う旅 (とんぼの本)

小林秀雄 美と出会う旅 (とんぼの本)

 

そういえば小林秀雄は鎌倉に住んでいたんだった。すっかり忘れていた。

吉田兼好の話が他の、(あんまり出すと新潮社のまわしものっぽいけど今それで進んでいるので)モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)であったけれども、他の話もついでに読んだりしたけど、芯を得ているので無意識に残っていることが多い。そうすると元が小林秀雄だっていうことを忘れそうになるけど、それだと先がまたわからなくなる。ネットで徒然草を検索するとなんというかな感じだった。

(そういえばもうすぐジャコメッティがどこかであるけど、昔セゾンで見たような気がする。それでそういえばええとABCで一くんが本紹介している時にそれでか刀の本を間違えて買ってきちゃったんだった。後でまた行ったけど、その本は未だに読んでない。) 

 

怖いお茶碗と馬子と松平のを考えていたら、村上春樹のねじまき鳥を思い出したけど、わたしは特にそんな場合じゃない。

そういえば、うずくまるとうばくちの区別がついてないバカがいる。さっきグレシャムの法則を考えていたんだけど、それも考えないといけない。

 

紛争は尽きない。

変革はお金儲け以外に前進要素少ないのに何でかっこつけて大義で書く新聞があられるんだろう。また朝日だったわ。