“牛の擬人化”で炎上のブレンディCM 制作意図をAGFに直撃「努力と達成感が強調されるよう留意した」|ウートピ
”映像内容が社会風刺的であるという印象を受けた人は多いようだが、こちらも意図したものではなく、「高い目標にチャレンジする主人公の『努力』と『達成感』が強調されるよう留意しました」との回答だった。”
2015/10/06 00:17
何だか知らないけどバカみたいな答え。
この記事から見たけど。
炎上したブレンディのCMを冷静に分析する - Mist "i" Room
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風刺だけど、目線が脇カマ過ぎる。
2015/10/05 21:57
後からこれを同じ電通で古川さんが手掛けて出している。
この広告が澤本さんだったような気がするんだけど、ねじまき鳥の頃の混乱のまま幼い男性向けにつくられているようだ。
— あー (@9atashi) 2015, 10月 5
ここを目指したとしてそういう作り手の映し鏡みたいに作るのって今珍しいんじゃないのかなあ。
紀伊国屋書店が職業としての小説家 (Switch library)これを買いしめたとかで、14年ぐらい前に何か季刊誌にこれ書きおろしだから、今だと思うんだけど。
雲泥の差をどこかで思い余って出したのかもしれない。それがわかると途中で妙に泣ける。なんか理系の天才呼ばわりされていて、どこかで血も涙もない印象(年鑑で賞もらったインタビュー見るとことさら感じが悪く、それがおかしな感じでこちらに降っては来ていたのでそれをみるとわたしもあたまにくるので悪魔だとか罵倒してるけど。)
グリコとか何か売りは胸だけですみたいなのってあるよね。
それにしても何故、広告に入れないといけなかった人物を使わなかったかで、今頃、博報堂と電通で未だにわかんないのか、人巻き込んでなんだかんだ言い合ってるのか、バカみたいだなと思っている。牛だか豚だか本人が気づいていないからって、たぶんでもこれ兄弟が見ればわかるだろうけど、それでいいと思ってんだろうな。すげえよなそこがほんと。 矛先側の方ではどう思ってるんだろう。
牛とか豚を揶揄する広告を最初に見たのは91、2年頃の、博報堂宮崎チームのリクルートかなんかの広告だったと思う。*1忘れていたけど、この間久々に見たら発狂しそうになった。何で見られていないからって少女を揶揄する広告を平気で作て、一方で尻軽な子たちを持ち上げてたんだろう。怖いと思った。寒気がするとか通り過ぎて何かどうしたらいいかわからないぐらいだった。
1987年とか1988年から1989年ぐらいのコピー年鑑並みだった。わたしに向けられていないのにそこまで生理的に許せないと思うのは割と少ない。電通図書館によく年鑑見に行くんだけど、今日はこの年を見ようとか、ここを調べようと思って行くんだけど、生理的にだめすぎて帰りたくなってお酒を飲まないとやってられないとか、(いい場合でもお酒の広告の効果が高い年だと早くビール飲みたいから帰ろうとも思うんだけど)
何かこのあたりから変なんだよね。
エイプリルフールに出したにしてもね。
この背景について、ねじまき鳥クロニクルは書いてある。というか奥さんは追いだされたんじゃないの。
そっちに寄って読むと、あんまり私自身はなったことがないんだけど、眼球振盪みたいなのから目が回るようになってきちゃって、(実際に近しい人物のすり替わりから汚物盛りのもあって)具合が悪くなってしまった。
この新しい文庫は、一度出先で忘れて買ったんだけど、以前のものより字がはっきりしていて読みやすくなっていた。
だからそっちにしてよんだり、屋外に椅子を持って行ったり、屋内でもなるべく広い空間で読んだりした。
石原慎太郎の「太陽の季節」のその後みたいになっているのかなと思った。それで三島由紀夫はいわゆるパンダと暦元ともっと分けていたと思うんだけど、子供(私の友人がメディア構造をなめきっていて操作感を弄んでいる時があったので)が嘘をばらまいている時期で、そのことについては村上はわかっているようで笠原メイの手紙としてこなしているけれども、すり替わりがあった事実には多崎つくるの話ぐらいまで確か気づいていない。それよりも確かに世相が政治家が勿論何か酷かったというのもあったりで実は非常に錯綜している。