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文科省と行き過ぎた表現の自由問題

今世の中で責められているのは、文科省東芝と、だけど原発の問題と安保闘争の頃の雰囲気を盛り上げるためとかいうふうに変にこじつけて実はエネルギー産業においてやや劣勢な企業の不当な手の込んだ落としこみもあるように思われる。

実力が僅差の場合、代わっていってもある程度進むことが可能かもしれないが、たぶんそれも無理だったので半ば嫌がらせに近い。こういう場合は全体的なスピードと質も落ちるので、社会的に極めて悪質な問題だと思う。

 

つまり着実に将来(またはニーズ等)を見極めるというより、わけのわからない競争とそれに伴い争いが多くなっているということなんじゃないの?

 

既得権のある会社を落とさなければ社会は変わらないというのは間違いで、様々な前提の想定の仕方がとても薄かったというのは、各々で散見される。

 

先ほど書いた記事は若い世代に対するやや盲目的で過度な期待の話だけれども、文科省だけではなかったと思うのだけれども、何故特に責められているのか。この先の世の中で活躍し得る人材のモデルケースがどこですり替わったのか、誰がすり替えたのか?

 

 

何かに対する盲目的で過度な期待みたいのがたぶん本当に大きい。人の話を聞くなとはいってないし、むしろ自分の才能とか能力の信じ方がどこかでおかしくて世の中を見る目がない。