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10だってあるよ

レキシントンの幽霊

 

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

 

 そういえば精読してなかった。

ここのところ何故か地震の起きた周辺の時期の精査にあたらされることが多く、それがちょっとその割にかなり地震やカルトの問題などに無頓着で、だけどこれは、特に「レキシントンの幽霊」と「七番目の男」は、神戸の震災の次の年に出たものだけれども、今日はすごく注意をひいたので。

「めくらやなぎと眠る女」というのは95年11月。最初は83年。これも、キチガイがおかしくくんでいるので、登場人物の女性もその女性の空想の中の話も両方あてはめられていたけれども、だいぶ違う。耳の騒音は、かなりしつこく長い間かけられた枷だ。この間大きめの地震があってから何かさすがにこりたバカというか、しょぶんしろよそういうやつ。オプトがおかしなかけ方していたのに今日気づいたのだけれども。

 

 

文芸春秋の場合、左寄り扱いなのか?これはそうでもないはずでかなり緻密に校正された1Q84のように細部を宛がう(あの小説だってそれは半ば無理もある。人違いでもなく都合の悪いことは振り払いたいみたいな動きばかり目にすることもあるし。)のは間違いなのだけれども、ネットの人は情報がないコンプレックスが被害妄想のように巨大で、そういうことをしていい権利があると思い込んでいる。村上春樹のだけではないけれども、大抵とんでもないことを引き起こす。

 

 

ディテールにこだわって読むというより、俯瞰しないと何も見えてこないので意味がない。ましてやこの短編集の場合、アメリカに長期住んでいるので、村上春樹が選んで訳した外国の短編集のこれと恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES変わらないぐらいの扱いでないと無理がある。

 

レキシントンの幽霊は、時が経ってもプロトタイプは残る人たちの話。人物の詳細な行動や関係性は時間での整合性(たぶんちょっとバカな人の伝聞で残っているもので正しくない)だけ。妙に茶色っぽいけれども、それも誰かの誤解が大きい。

7番目の男は、わたしがある人物と7回目に会ったときの問題とチャンネル7が荒れやすかった昔のがまた出てくるという問題っぽい。処理がかなりおかしい。Kというひとが津波に飲まれる時に笑っている場面の元は、昔私が見たはずの後楽園何とかプールだったと思うけどのポスターのではないかな。女の子だったと思う。どこで見たのかわからないけど、それ見てすごく行きたくなったことは覚えている。たぶんでも行ったことはなかったと思うんだよね。あるのかな?最近自分のことなのに人に聞くこともあるんだけど。あのさあ、ねえ、今でも無理なのに入れ替わらないでね。事情でバカ息子期にしてもほんとたいがいにしてよ。何か博報堂酷いんだけど。何でこんなことしてたの?