さっき一夜目を見ていていたんだけど、しんにせまらないのでプロパガンダとも捉えられる。暴走する大衆の肯定化。
それでも何か話題になっているサザンオールスターズよりは少しまともだと思う。かれらもしんをくわないと、ただの活動家になるんだろう。
再度載せるけど、
コルタサル『かくも激しく甘きニカラグア』:無邪気な、それゆえに悲しい本 - 山形浩生 の「経済のトリセツ」
芸術家やアーティスト、表現が自由だとかうるせーけど、そう言った表現には必ず社会へ向けたメッセージや思想がある。こういうことについての考えは北野武のヴェネツィア映画祭の金獅子賞受賞時のインタビューについて読めばわかることだろう。だからパリの今の動きはやや異常にも思える。表現の自由の議論でモラルという言葉が出てくることが少ないならば、規制をかける方よりもどこかで自由愛好家ファシズム状態に思える。
この社会の捉え方がおかしいのは、左とLINEでおかしな女を芸術方面にいれているのが原因の一部に思える。性器のオブジェを作てたびたび逮捕されている女性はその影のように何故か出ている気がする。
暴走する大衆を戦後平和の象徴だとか景気促進剤と捉えるのは、少し既に浮き沈みの激しい感情は、あまり質の良くない広告やメディア弊害の精神病が買っているようにも思える。
ネットのおやつの何かやんなくていいんだよ 調べる必要もない 小沢シンパだろ 雅彦てめえんとこの教え子が何故か皮肉なことにそれに一番今近いけどな
— あー (@9atashi) 2015, 1月 11
地震とカルト性を呼ぶので、限られた情報でどうにかできるとかしようと思わないほうがいい。「佐藤浩市*1」を「殺す」とかいうのがあるんだったら(それは恨みによる犯行というより、嫉妬の方が多く、現実はもっと非常にばかばかしいけれども。「代行者」にされた人も現実にはなくなるしね。