その調べものに凝っていて、前からそういう体感はあったのだけれども、謎だった。今年に入ってから調べてみたらとりあえず二か所は確認できた。
いろいろ思い出すと、どうもこの小説にちょっとずつ出ているのかと気づいて読み返したり、今日も夕方には、出てそうな場所に出かけた。
今日はそういう感じはなかった。そもそも、現実といえばいいんだろうか機械によってもたらされているその空間の感じがなんともで、
だけれどもそれより怖いのは、この小説も去年と少し早めだったけれども、今の行動を予期するかのように出ている別の映画も結構有名でそちらに引っ張られてしまっているのか、それだけでもないだろうがわたしが忘れていたことなどでもなのか、その場所の建物がそんなに古くもないはずだし、その時間にあったのは新島の地震でそれも2ぐらいだったのに、揺れたりしていた。
多崎つくるの9章を読むとどうも、何か97年から03年ぐらいまでのが詰め込まれていて何となく不思議だ。今日行った場所とは近いけど何丁目かの違いでおかしくなっている。次の10章はレクサスとトヨタのことが書いてあるのだけれども、そのぐらいの頃から何か車屋の争いが激しくてわけがわからないこともあったので、スパシオというのから後トヨタは一時よくわからなくなっている。
凝縮されすぎているが元のところでやや混乱している感じがある。丁寧に読まないとだめかも。
眠い。