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10だってあるよ

ウィーンフィルハーモニー 2014.9.24


コンサートに行ってきた - atashi9's weblog

今日もこれのつづきでございまして。

 

 

k364はフランスの当時の流行としても、ドラクロワの絵画のようなある種のリーダーの先導みたいな形式を予感し表しているのが天才っぽいと思うんだよね。決して物騒ではないけれども。音楽を聴いて、あるその地の風景を連想する場合に、単なる風景ではなく情景からクオリアまで見えるぐらい表現されているか、更にモーツアルトの場合、たぶんグールドが嫌いだという部分

モーツァルト:協奏交響曲 K364 聴き比べ(1): 節操のないクラシック音楽嗜好 にあたる言語性に近いような音楽表現でそれはでも小説家に美文、悪文があるようなもので質のいいものに思うのかもしれないけど、グールドからすると情報過多でただうるさいと思えるのかもしれない。それでもパリ滞在中に母親を亡くした悲しみ、それはああいう純粋な人間性におけるそれをどう表現するかもあるし、そういうことが演奏できているかみたいなことで演奏家の価値も作曲家の価値も決まるのでコンサート代も高くなってたりする。

 

あの、あんまり感知しないようにしようと思ってたんだけど(ただそれだけ演奏がよかったので)ドヴォルザーク8が入っているからか、昨日コンサート前に夕飯食べてたら何か上の姪の話と母は母本人の話だったんだけど聞こえてきて、そのせいか、昨日どこの会社が入ってたか知らないけど、ドヴォルザークでは微細な小節の表現を丁寧にやっていたからか、民族的すぎると言われているポルカの部分では頭の中を図形がずっと飛び交っていたりして、そのわりに上記のような理解に乏しくなるようなところがあった。迫力のある音楽を聴く場合、カタルシスや覚醒を求める人が多く、その場合には昨日はかなり前の方の席が取れたのだけれども、位置は舞台より下になるので、物理的にその爆音を体感し得にくいことになる。ただ、今はもう映画館でそういった音の体験はいくらでもできるので、ここのところそういった欲求は私は少ない。家でも結構重低音きかせればそうできる。吉田秀和のようにスピーカーと向き合って聴く。

 

さて、タイム・リサイクリングだけど、演奏順に今日は書いてないというのもこの曲の理解の仕方はちょっともう少し丁寧したかったんだけど、初めて聞いたんもあるだろうけど、CD売ってるのかなあ?でも確かにこの曲の性質からいって録音じゃないほうがいいのか、そんなこと言うとソニーに怒られそうだけど、聴きたいのでよろしくおねがいします。第一楽章は先日書いた渋谷さんのも彷彿とさせるところがあった。

たいむとらべる - atashi9's weblog

第二楽章はこの作曲をいつされたのか無知でよくわからないのだけれども、綺麗になっているところはここまでカオスでもないかなとも思うけど、第4楽章は非常に多彩な音楽でその中でも演奏やリズム感すごくいいんだなと感心した。Jazzっぽいところなど、こんなきれいな音になるんだとか。継承と伝播、または拡散によって熱量を伴い生命感がもたらされるというのは支配性の問題でもなく、適切な分配による理想なのかもしれないと感じた。

 

ということで理解の乏しい不適切な歪曲はほどほどにしてほしいと思ったしだいである。