atashi9's weblog

10だってあるよ 

野次のコスト

今日糸井さんが吉本隆明の晩年の沈黙というのは自問自答なのではないかと書かれている。たぶんそうだ。自分の考え方の育み方に関してもそうだ。少なくともわたしはそうしてきた。そういう設定なのは日本人的な美徳とイギリス風なこともあるだろう。アメリカ人は何でもオープンに話す。精神的に鍛えられてないとそこで叱られると内緒話とか。幼児でもそれは見受けられる。

 

相手が何かについて話し始めた時、その何かについてどのぐらいの質で返答していくかっていうのがあって、とにかく気にいらないからけなしておしまいとか、そういうのだとその程度ので終わってしまう。話に参加したい人は多い話題だと余計、何でもわかった気になって、実践型の人の早合点は多い。

そのうち、話すほうはその気がなくなったり。

それが、皆誰でも参加しやすい質だから平等だって言ってもそのうち飽きちゃうし、話も持たないんだよね。

今はそういう誤解が広がり過ぎてて、それって一体ほんとに自由なのかなあとも思う。

玉石混合って言ったって、なんか言うと石ぶつけられるみたいのが多い。

実は後々すごく高くつくとかにはなる。

 

http://atashi9.hatenablog.com/entry/2013/12/23/005607

これの続きね。(気になったほんはべつにまとめる)もうちょっと前の方が散漫だった気がするけど、堀江さんはよくわかんないこと書いてるし、嶋さんは村上のは結論がないって今決める問題じゃない場合以外あるよ。がつがつ読むのもなんだけど、あまりにも骨子がないのって問題なんだよね。たぶん。プチ哲学23には意味を探してるとかいうけどそれってどっちかって言うと、イケてるイケてないとかそういう勝ち負け根性のもあるから。

ただその結論を出す場合要求される読解力は結構高い。小林秀雄センター試験に出て文句が出るとかいう場合どころじゃない。そのぐらいかもう少し上。わたしがわかってる部分があるとかいう問題でもなく、そういう時はそういう読み方何号か前にそういえば東洋経済佐藤優のコラムがあってそこに書評の仕方とかあったなあ。専門家なので扱いに関してはすごく勉強になる。それも技術として読む人多いしね。

ここのところケーブルのチャンネルで007ずっとやっててさ、ピアース・ブロスナンのは全部何回も見てたんだけど、ワールドイズノットイナフはあたしは洋服が使われてるだけだなとか思ってたんだけど、スキーのところに白い恋人達、Jours en France/Francis Laiが入ってたんだなって今日気づいた。一昨日の佐藤雅彦の番組見たので認識が深まったのはある。物語以外でも考え方みたいのはだからある。

解説するのかなあ。すんごい量なんだよあたしが書くと。必要な部分以外で落とされると元から面倒なのが余計書けなくなるしさ。